☆シーサー☆ |
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☆シーサー物語り☆ |
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| 民家の屋根に我が物顔で遠くを眺めている獣像、これが「シーサー」だ シーサーは中国から伝わったとされている。獅子像の原型は百獣の王 ライオンとされるが獅子像の本場は生息地である、古代オリエントやインドという、ことになる。 そのオリエントやインドで造形された獅子が、シルクロードを旅しながら 中国を経て沖縄にもたされた 太古のメソポタミアには、ライオンが生息して おり、紀元前7世紀にはオリエントを支配した、アッシリア帝国の王は1千頭 のライオンを退治したという。ライオンは獰猛な野獣であるが、反面その巨大な 力は人々の憧れの的であった、いつしか最強のものを象徴するようになる。 そして獅子が降魔除災の守護神として変容していく様子を垣間みることができる、琉球から中国への進貢貿易がはじまったのは、14世紀後半である。 とりわけ14〜16世紀は大交易時代と呼ばれ、中国との進貢貿易を柱に 日本、朝鮮、東南アジア諸国を結ぶ中継貿易が展開した時代でもあった 中国からは御冠船とよばれる冊封使を乗せた船、又琉球からは、進貢使や 留学生を乗せた船が盛んに往来した、このような交流を通して獅子の概念も 又中国から直接導入されたのである。進貢貿易は500年ほど続きました。 今に伝わる陶器、漆器、織物、紅型などの工芸品もこの時代に生み出されている、獅子像の彫刻においても、この特色は色濃く反映している。 |
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| 屋根獅子のルーツと思われる獅子が、首里城正殿にある、前面と背面の 降棟に鬼瓦としてもちいられた、獅子面で装飾品としてのものであろうが 屋根に据えられたということから屋根獅子を誘発する要因の一つになったと 考えられる。 庶民の側の獅子として、古くから集落の入り口などに設置さらたのが村落 獅子である、これは集落全体の魔除けでありとくに沖縄本島南部では 素朴な石造りの村落獅子をよくみかける。この村落獅子の性格が、瓦屋根の 普及にともない民家の屋根獅子にも反映していったとの、見方もできる しかし琉球王朝時代は身分の高い人の住宅にしかいなかったというのも その頃の庶民の家は、茅葺きの家でシーサーどころではなかった。 19世紀に入ると民家にも赤瓦屋根が普及しはじめると、シーサーを据えて 魔除けとする、風習が広まった。これは砂糖の消費量が増え、沖縄の サトウキビが高く売れるようになったためだといわれている。 そのためシーサー職人は大変忙しかったようだ、沖縄にはシーサーの他にも いろいろな魔除けが存在する、沖縄では魔除けのことをムンヌキン(悪魔を よける物)と呼ぶ。ここでその一部を紹介します。 まずススキの葉を輪結びしたのが「ゲーン」、旧暦8月の「柴差し」には、 ススキと桑の小枝を結び、屋敷の角や、門、屋根のすみずみなどにさして魔除けとする。 |
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| ススキ、ワラ、芭蕉の葉などを小さく結んだものが「サン」である。弁当や供え物 など家の外に出すような食べ物にそなえる。 水字貝やクモ貝、を畜舎につりさげたものは「アクフゲーン」と呼ばれ、家畜に 疫病が進入することを防ぐ、シャコ貝の大きな殻を門や石垣に置いたものも 魔除けである。ニンニクにも呪力があると信じられ、家の軒や、豚小屋などに つるしてあの強烈な臭いで悪霊を払う。集落の入り口に、牛や豚の骨片を つけた、しめ縄を張るのが「シマクサラシ」と呼ばれる行事。外からの疫病を 防ぐという意味でしめ縄を張るところは、集落と他の境界と考えられている。 又門と母屋との間にたてる衝立のような塀が「ヒンプン」、目隠しの用途ばかり でなく、外部からの魔物の進入を防ぐと信じられている。 いまでも地方の家ではその「ヒンプン」をみることが出来る。 さて沖縄で観光に来られるみなさん、陶器やシーサー造りが体験できる場所 もあるので、魔除けのシーサーを作ってお土産にしましょう。 |
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